学校経営・学校会計分析・教員研修のA工房

東京で進路指導や教員チームなどの育成、研修、学校評価、授業評価に携わるコンサルです

教師の財産

教師の財産

 授業評価の分析をしていると、「熱意」の大切さに気づかされる。板書や話し方が多少拙くても、この熱意によって欠点が補われ、生徒から「よい授業」として高く評価されることが多い。もちろん、板書や話し方は、授業中に少しでも多く生徒に思考させ、豊富な気づきと推論の機会をもたらすから、巧いほうがよいことは確かである。しかし、「熱意」ある授業により、生徒は授業に引き込まれ、知的刺激に曝される率が高まることも確かなのである。

 いったい、教師の「熱意」とは何なのであろうか。どのようなとき、生徒の目に「熱意」ある教師と映るのだろう。

 どのような学校にも何人かの熱血教師がいる。本当はあまり適切な語句とは思えないのだが、とりあえず通りのよい言葉なので、そう表現しておこう。熱血教師に共通しているのは、仕事を楽しんでいることであろう。部活動の指導を楽しむ教師、学級経営、というよりも担任として生徒とかかわることそれ自体を楽しむ教師、そして授業することを楽しむ教師など、対象は異なっても、仕事のなにがしかを楽しみながら生活している。ここでは授業に限定して話を進めたい。

 授業をすることを楽しむ教師は、当然のことながら生活の中で授業について考えたり、広義の教材研究にかかわることをする時間が長い。朝夕、新聞を読んでいても、何か授業に使えないかと考えている。読書も、授業のネタ探しを兼ねていることが多い。仕入れた知識を何とか生徒に伝えられないかと、そのことばかり考えているものである。

 さらに授業をすることを楽しむ教師は、結局、授業の効果についてもこだわる。生徒にきちんと伝わらないと気が済まないから、拙い授業をしてしまうと、悔しくてならないようである。このため授業方法や教材の加工法や提示方法について、よく工夫するようになる。

 以上のような「授業をすることを楽しむ教師」は、事実、研究熱心ということになり、次第に授業の質も向上していくことになるのだが、仮に拙いレベルの授業をしていても、表情も生き生きとしており、生徒の反応をきちんと見極めながら授業をすることになるため、生徒の目には熱心な先生、すなわち「熱意」ある教師と映るのではないか。

 教師は、どのような経緯でその職に就いたとしても、どこかで自分の教科や他者に「伝える」ということに高い関心を持っていたはずである。結局「熱意」のある教師というものは、その関心を高いレベルで維持している人ということになろうか。そうだとすれば、どの教師も、そうなる資質はもっていることになる。初心を回復させ、眠っているものを活性化させるだけのことであろう。読書、観たテレビの番組、新聞や雑誌の記事など、何でもよい。「生徒に伝えられないか」という視点で、一日に一回は、考える時間を持ってみたい。この習慣がやがて、教師の財産として大きく育つことになろう。

2009年8月10日
 
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