学校経営・学校会計分析・教員研修のA工房

東京で進路指導や教員チームなどの育成、研修、学校評価、授業評価に携わるコンサルです

授業評価

授業評価

6月の終わりから現在まで、多くの学校の授業評価を分析した。過年度も実施した学校も多いから、半年ないし1年間のそれぞれの学校の先生方が、どのようにご自身の授業改善に取り組まれたか、とても興味深いものがある。当然のことながら、学校全体として、あるいは先生方個人として、3つのタイプがある。授業改善のあった方、横ばいの方、そして後退した方。

改善された方についても実は大きく2つのタイプが考えられて、一つは、事実、ご自身の問題点を把握され、改善の試みに着手、それがきちんと結果につながった方である。もっとも望ましい軌跡を歩まれた先生といってよいだろう。もう一つは、前回と比較して年度が変わったことから、担当の学級も変わり、新しい学級の生徒たちと「よい」関係を築いて授業ができた方である。相手によって評価が変わるということは、残念ながら実際にあり得ることで、これは生徒の実態に応じて、授業を最適化しての好結果でない点、実は、未熟な状態といえよう。こうしたタイプの先生については、来年度の評価の際にも、再度、評価がよい、という保証は全くない。

横ばいはともかくとして、後退した方にも同様に2種類いらっしゃる。一つは、「改善のあった」先生のうちの後者と同様、担当学級の変更によって、逆に新しい学級の生徒たちと「よい」関係を築けなかった先生、そしていまひとつは、「改善」の行動を取れなかった(取らなかった)先生である。後者はいろいろな意味で問題が大きい。まず、「改善行動を取れなかった」という人。その中には授業評価の結果を誠実に受け止めたが、改善方法が分からないという先生もいらっしゃるし、改善のための行動をとってみたが、失敗したという、先生もいらっしゃる。こうした方については、素直に同僚の支援を仰ぐか、校外を含めたリソースを利用して、次に向けたシナリオを再構築することを強く勧めたい。

一番問題なのは、「授業評価」それ自体を「無視」することで、結局「後退」した先生である(改善行動を「取らなかった」先生)。どのような学校にも多寡を問わず必ずこのタイプの先生がいらっしゃるが、共通しているのは、授業評価それ自体を否定する態度に出ることといえよう。「生徒に授業は評価できない」、「アンケートの方法に問題がある」という授業評価それ自体を否定したり、「生徒が勉強しないのだから、よい授業などできるはずがない」と、生徒の学習姿勢に問題の所在を転嫁したりする。たしかに、前述の通り、授業評価も完全ではない。担当学級とトラブルがあると、大きく評価を落とすということはあり得る。ただ、それをもってしても、授業評価を全否定することには何の根拠もない。現実には、教師も人の子であるから、生徒との間に摩擦が生じたり、何気ない一言で関係が悪化することは避けられないかも知れないが、そうした場合でも適切に関係の修復をはかり、良好な学習環境を整備することは、教師に与えられた任務の一つではないか。また、ご自身の授業を通じて、少しでもその教科・科目に対する生徒の意識を肯定的に変え、積極的学習姿勢を築くのも、教師の役目である。アンケート結果に現れた生徒の感想から目を逸らし、授業評価を「無意味」とするのは、何ら根拠のない一種の「信仰」と呼ぶほかはない。

多くの学校の授業評価を分析していると、「ああ、この先生は、非常に厳しい先生なんだな」と感じることがある。与えている課題の量が、生徒にとって「多い」と受け取られ、かつ「授業が難しい」と評価されている先生である。しかし、その結果、「力をつけてもらった」という感想をもったとき、どんなに厳しい先生でも生徒はその授業を正当によい授業であると評価するものである。

授業評価で消極的評価をされた先生のショックは容易に理解できるが、実は解決策は、授業評価から逃げることではなく、これを直視して、対応策を取ること以外には存在しない。授業は教師にとって最後の砦と考え、精進していただきたい。

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