シラバスは必要か
シラバスは必要か
ご承知の通りシラバスは法定文書ではありません。その意味では法的には必要ありません。また、シラバスを作成する教員の労力からすると、必ずしも用意する必要のあるものではないかもしれません。
しかし、後に述べる条件を満たしたシラバスをきちんと作成した場合、次のようなよい効果も見込めます。
- 生徒が学習の目標を理解し、また、予想される困難点をあらかじめ知ることで学習への方向付けと意欲を確保しやすい。
- 生徒が、求められる到達度を知ることができ、単元履修後、自分の未到達部分を特定し、学習する動機付けになる。
- 短期的、中期的な授業進度についてあらかじめ知ることができるため、学習の段取りやメリハリ付けがしやすい。
- 教員が、シラバスに書いた内容を意識して授業計画を立てるため、進度や内容について、大きなぶれが生じにくい。
- 教員がシラバスを参照することで、同じ生徒が他教科で何を学習しているか、学習したかを知ることができ、自身の授業準備に生かしうる。
- 保護者も子どもが何を学習しているか把握しやすい。
- シラバスを整備することが、教員自身の授業計画見直し、指導の方法や生徒の実態の再確認につながる。
- 塾などの外部に対する信頼の増加。
ところで、シラバスに対しては、日本では誤解もあります。「シラバス≒進度表」という認識でいらっしゃる先生方が多いようです。私自身、これまで多数の学校のシラバスを拝見しましたが、この域を出ていないものがほとんどでした。この点についても誤解を解いておきたいと思います。
シラバス自体は、アメリカの大学から興り、日本にも高等教育の世界にまず輸入されました。欧米の大学や大学院では、シラバスは「教員と学生との間の契約」であるという性質が強調されています。教員側から学生に求める学習態度やワークロードを定め、併せて評価基準を示すことで成果に対する正当な評価(評定)を担保します。また、その授業、講座を履修することで、何ができるようになるのか、についても書かれることが普通で、確かに教員と学生の約束(契約)といっていい内容のものが多いと思います。また、学習とその効果をきっちりと定めている点、多分にプラグマティズムの影響を受けたものであるといえます。
しかし、高等教育のシラバスは、このままでは中等教育には使用できません。生徒が自立して学習するには未熟である場合が多いからです。このため、中学校、高等学校でのシラバスについては、むしろ、教科学習ガイドとしての性格をもたせることが肝要でしょう。単元の目標や学習上予想される困難点などをきちんと盛り込んで、生徒の学習上の手引きとしての役割を与えることが大事です。また、せっかく先生方が苦労して作成しても、教科担当者や学級担任が意識的に利用させないと、生徒はまず使いません。逆に言えば、シラバスは「ある」ということに意味があるのではなく、「有効活用させる」態勢にこそ大きな意義があるともいえるのではないでしょうか。
活用させられるシラバスとは、概ね次のような条件を備えていることが必要です。
- 教科(科目)の目標が分かりやすく書かれている
- 単元ごとのポイントが分かりやすい
- 学習上予想される困難点が挙げられ、アドバイスがなされている
- 評価基準(逆に言えば大事な点)が明示されている
- 教育者としての暖かさが盛り込まれている
そして進度はむしろ堅苦しく考えないことが大事でしょう。もちろん進度面での過度の乖離は、生徒、保護者の信頼を損ねるので避けるべきですが、実際に授業をしてみて発生する程度のズレは、生徒実態との関連から発生しているという面もありますから、都度修正して活用するという態度の方が大事だと思います。
あるだけではダメ、活用させられる質のシラバスをきちんと活用させられるなら利益は大きい、というのが結論です。